ハイパーメリトクラシー [労働]

 

本田氏は現代の日本の社会が、どのような学歴や能力をつけ、

どのような職業を選択すべきかといった、

「人生の戦略」が立て難い社会になっていると分析している。


本田氏はこの状況を「ハイパーメリトクラシー(超業績主義)社会」と名づけ、

欧米の「メリトクラシー(業績主義)社会」がさらに日本独自の進化をとげた状態と説明する。



90年代までは、日本も学校卒業までの「業績」で就職先が決定し、

最終学歴によって自分の社会での地位を確かめることができた。

学歴主義自体はそれはそれで弊害もあったが、

少なくとも努力をして学校での成績をあげることが、社会的地位の上昇につながるという、

わかりやすい社会構造があったため、社会的な不公平感も抑えられていた。



しかし、90年代後半頃から、日本では学校や企業が、

意欲やネットワーク力など定義があいまいで、


個人の人格にまで関わるような能力が評価の対象となりはじめたと本田氏は言う。


95年の「EQ力」ブームや、
96年の文科省が「生きる力」の育成を答申として出したころから、


求人広告にも、「生きる力」「多様性」「能動性」「ネットワーク力」の文字が踊るようになり、

その人の全人格が評価される社会が現出した。

それが本田氏の言う「ハイパーメリトクラシー社会」だ。



「ハイパーメリトクラシー社会」の問題点は、そこで重視される能力の多くは定義があいまいで、


数値化するのが難しく、判断する側の判断基準にも個人差があり、不公平感が出やすい。

その結果、
評価される側が「なにをどう努力していいのかわからない」状況を招き、

若者の無気力や諦め、社会に出ることへの不安を助長することだと言う。

また、その能力の多くは、多分に生得的なもので、

教育や努力を通じていかに身につけるかが解明されていないため、

それが格差を固定する要因ともなってると本田氏は言う。

 


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